ここ最近、治りかけていた風邪がぶり返してしまったせいで、休日は療養に専念せざるをえない状況。。図書館にでかけたり、新しいカメラで写真を撮ったりしたいのに、なんとも足踏みを食らっているかんじです。今月計画していた撮影旅も延期ですね。
せっかく新しい時代に突入したというのに、なかなか思い通りにはいかない現実。これも、今は準備に専念しろということですかね。
しかしながらカメラの世界というのも、一歩間違えれば”沼”に嵌まってしまう危険性を多分に含んでいるので、その辺りは要注意なのであります笑。
特にガジェット好き男子を虜にしてしまう要素があまりにも多すぎる故、道具であるカメラにこだわりすぎるあまり、手段でしか無いカメラ弄りそれ自体が「趣味化」してしまう恐れが大いにあるのです。
道具も大事ですが、最も大事なのは作品を作り上げる感覚や感性。それを養うには、場数を踏む以外にはないのかもしれませんね。
一方で、どんな道具を使うかによっては、それが自分の感覚を養うか鈍らせれるかの分かれ道にもなったりします。
近年は当たり前にあった「手ぶれ補正」機能。この機能が一切ないカメラで初めて写真を撮ったとき、その撮影の難しさに愕然としました笑。ちょっとのブレさえも写りに影響してしまうのです。逆に自分の感覚は研ぎ澄まされていく印象。
カメラの機能一つとってもこの差ですから、今や便利すぎる物に囲まれまくっている現代人にとって、失われてしまった感覚や感性というのは、計り知れないものがあるのかもしれませんね。
わたし自身このことを無意識に感じ取っているためか、使う道具はなるべくシンプルなもの、古き良き時代のものが好みだったりします。過剰な便利さよりも、より人の動作や機能と調和したものがベストなのかもしれません。
過去のリーディングにおいて、感覚について書いた記事。
「感覚」と「こころ」は密接に繋がっている。このことを読んで字のごとく「感性」と呼ぶのかもしれません。新たな体験が引き寄せる新たな人生。感性には、自分が思っているより、ずっと大きな可能性が潜んでいるのかもしれませんね。