再スタートのとき

行動がモチベーションを生む

一区切りしたタイミングでこの先の方向性を考えたりしています。少し間が空いてしまったのもあって、以前のようなモチベーションを維持するのがだんだんと難しくなってきていることに気づいてしまいました笑。

以前のエントリーにも書いているのですが、行動することでしかやる気は起きないことは頭ではわかっているのですが、なかなか行動が伴ってこない笑。こういうところでつい怠け癖が出てきてしまいますね。

いちおう「ワンダー」を標榜しているブログではあるので、いつも書く前にはある程度テーマを決めてから書き始めています。個人的には”はてな”的な「純日記」を書くことにある種の抵抗があるというか、恥ずかしさが抜けないというか。まぁエッセイ書いてる時点であまり変わりはないんですけどね。記事としてカッコつけて書きたいというのがあるのかもしれません。

今後は少し肩の力を抜いて書いてみるのも悪くないかなと。そうでもないと続かないですよね。たまには堅苦しい「目的」を忘れて自由に書いてみるのも今後の自分には必要なことなのかも。

手段と目的が入れ替わる

ブログを書くことが目的になってしまうと何事も充分に楽しめないな、と感じてます。書くことはあくまでも「手段」として考え、まずは自分自身がそれを”楽しむ”。書くためのネタとしてなにか新しいことを始める、みたいなことになると本末転倒だなと。

「仕事のための人生」か、「人生のための仕事」かみたいな話と同じようなことなのかもしれません。やはりここは「楽しむためのブログ」として続けていくのがベストなのだと感じます。

いまは情報が流れ込んでくる時代、いろいろと流行り物に目が奪われてしまいますが、いままで通り”マイペース”でぼちぼち書くことが大事かと。

結果に期待しない

全力で取り組んだ後は結果に期待しない。これはバシャールも日頃から仰っていることで、自分は全然守れていませんでした笑。ブログを書くことの醍醐味の一つとしてリアクションはやっぱり励みになりますから。たしかに固執しすぎるのは良くないかもなと感じていますので、横目でチラチラ見るくらいがいいのかもしれませんね。ニッチであやしい内容を書いているので、そこまで見に来る人もいませんけど笑。

つらつらととりとめのない内容で書いてみましたが、いかがでしたでしょうか。たまにはこんな目的ない記事も悪くはないかなと。役には立たないけど意味はある、かもしれません。

人気記事ランキング【8月増刊号】

ブログを立ち上げて2ヶ月近く経ち、ひと区切りの意味でここらで人気記事についてまとめた記事を書いてみようと突然思いついた次第です。私ら世代にはおなじみのテレビ番組「笑っていいとも!」を毎週日曜日にまとめて放送していたような「増刊号的スピンオフ」企画になります。

こんな拙いブログではありますが、その短い軌跡を振り返ってみるという意味と、併せてベスト盤のボーナストラック的意味合いでお楽しみ頂けたらと。微レ存の常連さんと一見さんも共に楽しめるという1粒で2度おいしい企画となっております。

運営的には以前のエントリーを使い回し、、、いやもとい熟成できるという旨味もあるので、ものはお試しということでさっそくはじめていきます。

人気記事といってもサイドメニューに貼ってある「注目記事」とは異なり、アクティブユーザー数からグーグルが弾き出した、はてなとは別集計のトップファイブ!の記事となります。

第5位 電脳空間に静かに存在し続ける伝説のオカルトサイト「X51.ORG

voyagernote.hatenablog.com

長年の佐藤健寿ファンである私の熱量をすべて注いだ記事が第5位にランクイン!インターネットを使い始めた頃から見ていた方なので、今もこうしてご活躍されているのを見るとなんだか感慨深いものがありますよね。いまだにいろいろと影響を受けて自分も動かなきゃ!って気になっちゃいます。

じつは高知美術館での展覧会には行けていないので、その気分だけでも味わおうと最近公式の図録を通販で購入しました。

これだけでも相当なボリュームがあるので、これはこれで佐藤さんの活動の総集編として非常に楽しめる物となっています。最近もツイッターをチェックしているとTRANSITの取材でタイに行かれていたりして、こんな時期でも忙しくされているんだなあとなんだか感心してしまいますね。

記事中には書きませんでしたが、佐藤さんは荒俣宏さんにもかなり影響を受けているようで、たしかに不思議なものに対する世界観はなにか共通した雰囲気を感じさせます。オカルトブームが遺した昭和の遺伝子というものを脈々と引き継いでいる方なのだと思いました。

しかし、ここまで徹底して奇妙なことを追い続けている人が、結局「普通と奇妙なものに境界なんかなくて、ほんとは”奇妙なもの”なんて世の中には無いんじゃないか。」なんていう一種の結論めいた発言をされていて、それを聞いて「見る角度によって捉え方が異なる」という真実に気付いたりするようなことなのかなあ、なんて思ったりもしました。

第4位 航海のための羅針盤

voyagernote.hatenablog.com

占星術についてはじめて触れた内容の記事が第4位にランクインです。自分の出生時のホロスコープをパソコンで調べながら感じたことを素直に書き記しています。

これまでも人生の節目節目で占いに頼っていたことはありましたが、結局占いするときって大抵が恋愛事なんじゃないかって感じたりもします。というか性別関係なくみんなそうですよね笑。

自分がわからない相手の気持ちを知りたい。聞けないから知りたいときって、こういう人智を超えたチカラに頼りたいって思うこと、誰しもあると思います。(吟じます)

そういう恋愛ごとを含めた”人生”を救済するチカラが占いには存在するのかもしれません。現実と非現実の狭間に存在する夕暮れのような幻想の時間、そんな時間に存在する「なにか」を占いが顕在化させるのかもしれません。

このこともあって、最近は占星術研究家の鏡リュウジさんをチェックすることも多くなりました。今までは名前の先入観でなんとなく避けていた方だったのですが、お話を聞いていくうちにその独特な魅力を持つ世界観は、そうしたものに惹かれる自分ともなにか共通したものを感じます。今度著作の本も購入して読んでみなければと思っている次第です。

第3位 砂漠で40日間瞑想した男が見た光景

voyagernote.hatenablog.com

フランス漫画界を代表すると言っても過言ではない、漫画の神様「メビウス」の最後の作品について書いた記事が第3位にランクイン!私もメビウスの本を何冊も持っているというわけではないのですが、この作品はほんとに絵が緻密で美しく、メビウスのすべてが詰まってる作品だと感じます。

日本のアニメ界や漫画界の著名人もメビウスの影響を多大に受けていて、その源流を辿れば結局メビウスだった、というパターンが多いようです。

際限なく溢れてくるファンタジー作品というイメージで、瞑想がテーマという点もなにか神秘やスピリチュアルとも共通した世界観を醸し出しています。おそらく潜在意識に存在する光景を正確に描写することができる、という超人技を軽々とやってのけることができるというのがこの方の最大の武器なのでしょう。ほんと魅力を語り出せばキリがありません笑。

ユーチューブでも絶賛している方の動画があって大変面白かったので、よかったら併せてご覧ください。

www.youtube.com

第2位 バランスの中心点から創造する未来

voyagernote.hatenablog.com

いまの私が多大なる影響を受けたお三方について、とりあえず1ページに強引なまでにまとめてしまった記事が第2位にランクインです!いまはエッセンスシリーズとして著作を引用させてもらいながら、徐々に掘り下げる内容の記事も書いてます。

とくにみつろうさんの本との出会いで人生の方向性が180度変わってしまった、いまではそんな印象です。それをきっかけにスピリチュアルや不思議な世界にどんどん傾倒していくことになります。

それまでのワタシはどちらかというと理系の現実主義者といった感じで、こういった世界はなんとなく避けて生きてきたというのがほんとのところですね。しかし、昭和のオカルトブームに潜在的に触れていた過去のおかげか、そんなに抵抗なくすんなりと受け入れていたと思います。

そんなこんなでバシャールも知ることになるのですが、宇宙存在というそのぶっ飛んだバックグランドとは対象的に、与えてくれるアドバイスの有効性にどんどん引き込まれていきましたね。この世界のすべてを知っているわけではないとのことですが、私たちの言葉でわかりやすく伝えてくれるその内容は、何年経っても色褪せることのない「普遍性」を含んだ現実的かつ法則的アドバイスなのだと感じます。

その後にシリーズを読破することになる「神との対話」についても、その言葉が持つ宗教的な響きに苦手意識を持っていたので、興味はありつつもしばらく読まずにいました。しかし、いざ読み始めると次から次に繰り出される素晴らしすぎるお話の数々に、「なんでもっと早く読まなかったんだー。おれ」と後悔先に立たず状態笑。ほんと、先入観って怖いですねー。

第1位 モアイを訪ねる”アン”クレイジージャーニー

voyagernote.hatenablog.com

そして、”さとうさん”つながりで古代遺跡の代表格「モアイ」について旅計画までの経緯について書いた記事が第1位にランクイン!旅そのものよりも計画しているときのほうが楽しい、そんなあるあるな気持ちが読者の方々にも通じたのかもしれません笑

日本との意外なつながりや、言葉が持つ意味に導かれるものがあったのかもしれません。混迷していた私自身へのメッセージだったのかも。

この後に実際に訪れたときの写真を乗せて報告記事も書きましたが、やっぱり現地に行って感じる空気というか、実際に行かないとわかんないことって多いんだなと感じました。その「モノ」がもつオーラというかエネルギーを直に浴びる、そんな感覚でした。モアイが立っていた場所は開けた海沿いのところだったので、触れた瞬間この海の遥か向こう側にいるのイースター島の本家モアイともつながった、そんな日だったのかもしれません。

それにしても、なんでも知っているさとうみつろうさんの豊富な知識、なんか感心してしまいます。やっぱりインスピレーションもいろいろな情報の中から生まれるということもあると思うので、私も興味のあることはどんどん学んでいこうと思いました。

さいごに

こんな好き勝手書いてるブログにいつも足を運んで読んでくれる方、ありがとうございます。なかなか伸びないアクセス数とも悪戦苦闘しているような気持ちにもなっていますが笑、まだまだ数字を気にするような時期ではないのでしょうね。

自分自身への学びを深める、それだけでも十分価値あるものなのかもしれません。またよかったら遊びにきてくれたら嬉しいです。

感情が物語を紡ぐ【対話のエッセンス】

感情は魂の言葉だが、ほんとうの感情を聞きとっているか、それとも理性がつくりあげたまがいものなのかを、見きわめなければいけない。

引用:ニール・ドナルド・ウォルシュ著「神との対話②」第2章, p.51

自分をごまかさない

前回までのエントリーで、生きたい「いま」を生きるためのヒントを自分なりにいろいろと考えてまいりましたが、やはり芸術や音楽という分野は直接感情に語りかけてくる力があって、それはほんもののメッセージをダイレクトに伝えてくれるもので、いまの私にはとても大切なものなのではないかとあらためて感じました。

というのも、昨年末にに人生が変わってしまうような大きな出来事が起こり、今年に入ってからはいままでの人生とは180度変わってしまうような大きな”変革”の時期を過ごしています。これまでも精神を崩してしまうような場面は何度かありましたが、なんとか軌道修正できていたのでそれほど大したことでは無かったのだと思います。しかし昨年末の出来事は自分の限界点というのをついに超えてしまって、人生そのものを大きく進路変更せざる負えない状況にまでなってしまいました。

これもほんものの感情の声に耳を傾けていなかった結果なのかもしれません。元来なまけものの気があるもので、自分自身を崖下へ突き落とすかのごとく仕事に邁進していたのですが、そんな自分への荒療治が人生への気力を失わせてしまい、結果歯車のバランスが見事に壊れてしまいました。

自分に厳しいことも必要ですが、過度なことを続けて人生をごまかし続けていると必ずほころびが出てきます。その都度軌道修正しながら進まないと、気づいたときには修復不可能な状態に陥ってしまって、人によってはもう走ることもできなくなってしまうかもしれません。

いままでのプロセスをシフトさせる

自らを破壊するまで閉じ込めてしまっていた「過去の檻」と一体何だったのか。以下のエントリーで書いた内容をもう少し掘り下げて探ってみたいと思います。

voyagernote.hatenablog.com

前回同様ウォルシュさんの本のなかにヒントとなる言葉が書いてありました。

ある感情はほんもの、魂から生まれた感情だし、ある感情はまがいもの、理性がつくりあげたものだ。言い換えれば、まがいものは「感情」ではなく、「思考」だ。感情の仮面をかぶった思考だよ。思考は、過去の体験や他人の体験にもとづいている。

引用:第2章, p.52

「思考」というまがいものをもとに目の前の現実を見てしまうと、人は反応する人生しか生きることができなくなる。裏を返せば自分が思い描くものを「創造する」人生は始まることはないということですね。現代の日本社会が迷い込んでいる問題の本質も、私個人の問題と同じように”ここ”にあるような気がします。

それぞれの瞬間をきよらかに、前もって考えたりせずに迎えれば、あなたは過去の自分を再現するのではなく、自分を創造することができる。人生は創造のプロセスだ。ところがあなたは、再現のプロセスのように生きている。

引用:第2章, p.53

思考を重視するあまり、自分自身を再現の枠の中に閉じ込めてしまっているのが現代社会なのかもしれません。経験から考えれば、鬱を引き起こす原因となる「悩み」もこの思考の枠の中で脳が反応し続けることが原因で起こる現象。現実を変えるには「思考という反応のプロセス」から「感情という創造のプロセス」へと個人も社会もシフトすることが今後の鍵になってくるのかもしれません。

大事なことに立ち返る

煩わしさを感じる人間関係。そんな疲弊する現代社会のなかで人としてなにが大事なのか、もう一度基本に立ち返ってこの現実を作り直していくことが必要な時代に入ったと感じます。見せかけやまやかしの思考に騙されず、自分のほんものの感情にしたがって行動すること。ひとりひとりが試されてくる時代なのかもしれません。

「いま、愛ならなにをするだろうか?」

引用:ニール・ドナルド・ウォルシュ著「神との対話」第8章, p.222

まがいものの感情に囚われそうになったとき、いつも心の中で思い出すようにしています。

追憶の太陽が示す道

人は自分にないもの、むしろ反対のものに惹かれるんだ。(岡本太郎

時空を超えて佇む巨大モニュメント

日南市のモアイを訪れて以来遠出らしい遠出もできておらず、しかもタイミング悪く”第7波”なんて始まってしまい、そんな社会と逆行した旅行熱が自分の中で再燃しつつある今日この頃。行けないなりに気分だけでも味わおうとスマホの写真なんぞ眺めておりましたら、以前のエントリーでも書いた大阪を訪れた時の写真が残っていました。

ということで今回はそんな思い出を追体験しながら、ちょっとした旅行気分をお届けしてみたいと思います。

2022年2月12日のこの日、大阪に着いてからライブが始まるまでだいぶ時間があったので、せっかくなので観光がてらどっか行こうかなと突然思い立ち、なぜか導かれるようにとある場所を訪れていました。

あの世界的に有名なモニュメント「太陽の塔」がそびえ立つ大阪を代表する観光地、万博記念公園です!

goo.gl

万博記念公園伊丹空港からも近く、モノレールで18分。自分のようなフラっと来た観光客にとってはうってつけの観光スポットです。

2月の大阪といえば第6波真っ只中の時期。ギリギリまで行くかどうかこの時はほんと悩みましたが、年齢的にもこんなチャンスはそうそう巡ってこないだろうと思い、思い切って遠征することにしました。当然、会場側の対策を守って万全の準備で望みました。

基本田舎に住んでいる私ですが、あまり乗る機会の少ないモノレールの中はお客さん同士がきちんと距離を取って座っていて、人出も少なかったように感じました。さすがは日本が誇る大都会「大阪ぁ!」(府警が組事務所の扉を叩く勢いでさけぶ「おおさかぁ!」のニュアンスで)、ディスタンスはすっかり定着していました。

駅から降りてすぐ見える塔の姿。早くもテンションが上がります。いまにして思えばモアイやら太陽の塔やら、なにか巨大なものに強力に導かれる「見えない運命」というものを自分自身の中に感じざるを得ません。もうこれは私の中に眠っている「血が騒ぎだす」というレベルの衝動なのかもしれません。

しかも大阪という土地は、私が学生時代に初めて体験したライブで今でも憧れるバンドの本拠地でもある場所。そんな繋がりの深い私のルーツとも言えるところでもあるので、初めて訪れた土地とはいえなにか感慨深い気持ちにもなっていました。

入門ゲートをくぐって有無を言わさず、ご対面。このレスポンスの良さですよ。最高です。ごくごくありふれた公園の中に強烈な存在感を放ちながら静かに佇むこの姿。この時すでに自分の中にある「静と動」の精神にまっすぐ触れてくるこの光景、感無量ですね。


ゆったりした歩みで塔へと近づいていきます。その雄大さと”本物”だけが持つ迫力にただただ圧倒されてしまいます。塔がもつ神々しいエネルギーをそのままダイレクトに感じる、こんな晴れた穏やかな日にこの場所を訪れることができたこと自体、いま考えればほんと贅沢な時間だったのかもしれません。

背中に背負った太陽

回り込んで後ろからの姿をご拝見。

とにかく間近で眺めれば眺めるほど惚れ惚れする造形です。生命、自然が持つ流線美が存分に詰めこまれた作品ですよね。

最初に見たとき、太陽の塔というから表の顔が太陽じゃないのか?と思いましたが、頭には王冠の月を掲げながらも背中には太陽、表の顔は太陽とも月ともとれる「ヒト」自身の苦悩と希望に満ちた表情を表しているのだなと、勝手に解釈しております。

見る角度でもその表情が変わります。

実はこの塔の内側には生命の樹と呼ばれる裏世界が展開されています。見てみたかったんですが予約制でなおかつ時間の都合もありこの日はパス。つぎの機会に持ち越しです。

rurubu.jp

公園内に入ってしまえばこの背中の太陽がどの方角からも常に見えるような配置になっていて、この雄大な背中に見守られている、そんな安心感にも似た気分になります。

このあとは休日の家族たちがつくる憩いの空気に触れながら、まったりと散策しました。このとき、夜に予定しているライブハウスの狂騒とは対象的にこの静かな時間を過ごしている自分の中に、なにか両極にある2面性をバランスよく持ち合わせるような素質、それは岡本太郎とも共通した信念のような想いを感じていたのかもしれません。

しばらく歩くと食事が取れるレストランもあり、この日はそこでシーフードパスタをいただきました。非常に美味しかったです。

www.expo70-park.jp

自分の中にある衝動

芸術にしても音楽にしても、人間の内側にある衝動的なエネルギーを外側に開放する表現活動というのは、今も昔も変わらない普遍的なものなのでしょう。私自身も同じように自分の中にこの衝動を持っていて、それをいろんな形で表現しようとしているのかもしれません。

自分のまわりにある似たような波動に日々影響を受けながら、ほんとうの自分を手探りで表現し続けているのかもしれません。なにが間違っていて、なにが正しいのか。なにを信じて生きて行くのか。

そんなことをいろいろと考えながら、ワクワクしながら目的地の梅田へと向かいました。この日の自分の衝動を全力で表現するために、その時間だけは余計なことは忘れてとにかく楽しむ。

いまを生きることから全ては始まります。

 

未来がいまとなり、やがて思い出になる【対話のエッセンス】

人類の唯一の敵は、罪悪感と不安だよ。

引用:ニール・ドナルド・ウォルシュ著「神との対話③」第1章, p.24

過去の檻から出ることで始まる

前回のエントリーにも書いた、いまある現実を変えるための方法に関して、もう少し深掘りして考えてみたいと思い、引き続きウォルシュの言葉の中から探ってみたいと思います。

昨日心の専門家である惣士郎さんのYoutubeを見ていて、これも素晴らしいヒントになりそうなことを短く簡潔に語ってくれていましたので、ここで併せてご紹介したいと思います。

www.youtube.com

「もっとそうありたい私を振る舞う」まさにいま考えていたことをズバリと言い得てくれているなあと感じました。いつまでも過去に「いま」を奪われ続ければ、思い描く未来には一生たどり着くことはできない。まずはその過去という檻から一歩外に出て理想や夢を描き始めることから奇跡は始まる。自分の意思で奇跡に繋がる道の上を歩きはじめるからこそ、すべては始まるんですね。

まず、「幸せ」(あるいは「知っている」「賢明だ」「優しい」)という状態になりなさい。その状態から、「行為」を始める。そうすれば、まもなく自分の行為が、結果として「所有したい」と思っていたものをもたらすことに気づくだろう。

引用:ニール・ドナルド・ウォルシュ著「神との対話③」第1章, p.40

この”行為”についてつながる内容の話を以下ののエントリーでも書いていますので、よかったら併せてご覧ください。

voyagernote.hatenablog.com

日々生きていると人間誰しも悩みがあったりしますが、その悩んでいる状態からいかに抜け出してこの未来につながる行動に移れるどうか、というのも人によっては重要。「悩み」というのは過去のことを頭の中で思い巡らしている状態。つまり悩みというのが、いわば私たちを縛る「過去の檻」の正体だということになります。

「抜け出す道」はあるし、あなたがたは「うまくやれる」よ。ただ、観察力を鍛えればいい。何が自分のためになるかをよく見なくてはいけない。それが「進化」というものだ。じつは、「うまくやれない」はずはない。失敗はありえない。問題はうまくやれるかどうかではなく、いつそうなるかだよ。

引用:第19章, p.488

「いま」の社会の混迷を抜け出るためには、「いま」始める決断をしなくてはならないということですね。

心の声を聞く

物事を冷静に分析するためにデータや理論も大切ですが、やはり人として「何が」役に立つのかを見ていくために、直感や心の声を聞くこともそれらと同じくらい大切なことだと思います。

直感とは心に、魂にあるものだから。直感とは魂の耳だ。魂だけが、生命のほんのかすかな振動を「聞き分け」、エネルギーを「感じ」、波動の存在を意識して、それを解釈する繊細な道具(ツール)をもっている。あなたがたには、五つではなく六つの感覚がある。嗅覚、味覚、触覚、視覚、聴覚・・・・・・そして知覚だ。

引用:第6章, p.191

人生で迷ったときには胸に手を当てて自分の「心」に聞いてみる。その直感の声に従うことで開ける未来は必ずあります。人生というのは羅針盤ともなる自分の心を磨き続ける旅、ともいえるのかもしれません。

「永遠の時」には「可能性」のすべてがある。すべては何百万ものちがった方法ですでに起こっている。あとは見方を選択するだけだ。要するに見方の問題なのだよ。見方を変えると「思考」が変わり、思考が現実を創造する。どんな結果を期待しても、すべてはすでに存在している。あなたはどう見るか、どう知るかを決めるだけだ。じっさい、あなたが祈る前に、祈りは「かなえ」られているのだよ。

引用:第6章, p.194

無数にも存在する可能性という扉の中から、どの鍵でどの扉を開け”たい”のか。人はいつでも探し続けているのかもしれません。お金が中心となってしまった世界の中で、いかに「心から」始めることができるか、いま問われているのかもしれません。