感情が物語を紡ぐ【対話のエッセンス】

感情は魂の言葉だが、ほんとうの感情を聞きとっているか、それとも理性がつくりあげたまがいものなのかを、見きわめなければいけない。

引用:ニール・ドナルド・ウォルシュ著「神との対話②」第2章, p.51

自分をごまかさない

前回までのエントリーで、生きたい「いま」を生きるためのヒントを自分なりにいろいろと考えてまいりましたが、やはり芸術や音楽という分野は直接感情に語りかけてくる力があって、それはほんもののメッセージをダイレクトに伝えてくれるもので、いまの私にはとても大切なものなのではないかとあらためて感じました。

というのも、昨年末にに人生が変わってしまうような大きな出来事が起こり、今年に入ってからはいままでの人生とは180度変わってしまうような大きな”変革”の時期を過ごしています。これまでも精神を崩してしまうような場面は何度かありましたが、なんとか軌道修正できていたのでそれほど大したことでは無かったのだと思います。しかし昨年末の出来事は自分の限界点というのをついに超えてしまって、人生そのものを大きく進路変更せざる負えない状況にまでなってしまいました。

これもほんものの感情の声に耳を傾けていなかった結果なのかもしれません。元来なまけものの気があるもので、自分自身を崖下へ突き落とすかのごとく仕事に邁進していたのですが、そんな自分への荒療治が人生への気力を失わせてしまい、結果歯車のバランスが見事に壊れてしまいました。

自分に厳しいことも必要ですが、過度なことを続けて人生をごまかし続けていると必ずほころびが出てきます。その都度軌道修正しながら進まないと、気づいたときには修復不可能な状態に陥ってしまって、人によってはもう走ることもできなくなってしまうかもしれません。

いままでのプロセスをシフトさせる

自らを破壊するまで閉じ込めてしまっていた「過去の檻」と一体何だったのか。以下のエントリーで書いた内容をもう少し掘り下げて探ってみたいと思います。

voyagernote.hatenablog.com

前回同様ウォルシュさんの本のなかにヒントとなる言葉が書いてありました。

ある感情はほんもの、魂から生まれた感情だし、ある感情はまがいもの、理性がつくりあげたものだ。言い換えれば、まがいものは「感情」ではなく、「思考」だ。感情の仮面をかぶった思考だよ。思考は、過去の体験や他人の体験にもとづいている。

引用:第2章, p.52

「思考」というまがいものをもとに目の前の現実を見てしまうと、人は反応する人生しか生きることができなくなる。裏を返せば自分が思い描くものを「創造する」人生は始まることはないということですね。現代の日本社会が迷い込んでいる問題の本質も、私個人の問題と同じように”ここ”にあるような気がします。

それぞれの瞬間をきよらかに、前もって考えたりせずに迎えれば、あなたは過去の自分を再現するのではなく、自分を創造することができる。人生は創造のプロセスだ。ところがあなたは、再現のプロセスのように生きている。

引用:第2章, p.53

思考を重視するあまり、自分自身を再現の枠の中に閉じ込めてしまっているのが現代社会なのかもしれません。経験から考えれば、鬱を引き起こす原因となる「悩み」もこの思考の枠の中で脳が反応し続けることが原因で起こる現象。現実を変えるには「思考という反応のプロセス」から「感情という創造のプロセス」へと個人も社会もシフトすることが今後の鍵になってくるのかもしれません。

大事なことに立ち返る

煩わしさを感じる人間関係。そんな疲弊する現代社会のなかで人としてなにが大事なのか、もう一度基本に立ち返ってこの現実を作り直していくことが必要な時代に入ったと感じます。見せかけやまやかしの思考に騙されず、自分のほんものの感情にしたがって行動すること。ひとりひとりが試されてくる時代なのかもしれません。

「いま、愛ならなにをするだろうか?」

引用:ニール・ドナルド・ウォルシュ著「神との対話」第8章, p.222

まがいものの感情に囚われそうになったとき、いつも心の中で思い出すようにしています。