アートに触れる

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先週行った図書館で何気なく使ってみた「蔵書検索」。まさか、もう置いてないだろうと思っていた佐藤健寿さんの著書が、行きつけの場所に未だ長い間眠っていたとは笑。

新たな横穴から埋蔵金が出てきたかのごとく、思わぬところにお宝は隠れていますね。

本日から大分で開催される佐藤健寿展。

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仕事のシフトを確認したら7月の連休は当分先なので、とりあえず図書館に置いてある写真集を予習がてら堪能しながら、暫しのあいだ心待ちにしたいと思います。

佐藤さんはこのブログを始めるきっかけともなった方なので、個人的には大注目なのであります。最近はTV「クレイジージャーニー」等で知名度も爆上がりなので、ファンとしてはいろいろなところで独特な世界観に触れる事ができるのは、なにかと嬉しいかぎり。

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落合さんと同じく、昔の印象が強すぎて動画での発言は共感しちゃいます。どうしてもX51.ORGが当時尖りすぎてて、しかも表に出てこない謎の管理人というイメージが未だに払拭できない笑。。。

同世代の方でここまでやりたいことに邁進している佐藤さんに、ある種の憧れの感情すら抱いてしまいます。世界から自分が面白いと思うものを選び出すセンスや探究心。見えないというだけで、魅力的なものはまだまだこの世界にいくつも転がっております。

あとは旅という面で言えば、たとえばエリア51の写真をネットで検索して見るという事と、自分で実際に行って見る、ということは情報を「見る」とか「知る」という事においては同じですよね。でも実際には、その二つの間には途方もないエネルギーの違いがあって、それはやっぱり等価だとは思えないんです。まったく当たり前の事なんですが、今の時代では多くのことについて、ワンクリックで自分は知ったと思えたり、あるいはそれを元に物事を肯定したり否定したりしてしまうわけじゃないですか。でもその「行く」ことと、「見る」ことの間にあるものがどういうことなのかとか、そこから派生する「信じる」とか「信じない」みたいなことが、自分でも分からないから、今はとりあえず「行って見て」いる、という感じです。

引用:「X51.ORG」主宰・佐藤健寿のオカルトとネットを巡る旅|日刊サイゾー

ネットとリアルの境界線がどんどん無くなっていく2024年の昨今、体験することの重要性がますます増している気がします。やってみることで「分かること」が必ずある。

どんなにテクノロジーが発達しようとも、自分自身の感覚で”実感”として物事を捉えることで、それを反映した現実においても、新しい「未知」と出会う可能性がどんどんと広がっていくのかもしれません。