祝2周年

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今月で当ブログも2周年を迎えることができました。お読みいただいている読者の皆々様、いつもありがとうございます。浮き沈みも激しく、右に左に紆余曲折しながらではありますが、なんとかかんとか航海を続けられております。

人生は繰り返し。この循環する時のなかで、新たな自分と出会っていく。

今日は久しぶりに、図書館にでも出かけてみることにしますか。

何ヶ月もスローペースで読み続けているOSHOさんの本。購入した本に関しても同じく、気が向いた時にちょっとづつではありますが読み進めております。

14歳で性的に成熟するのと同じように、人は42歳という年齢で一つ新しい次元がひらかれる。というのも人間には、7年毎に生理的、心理的、スピリチュアルな変化が起こるからだ。

7年目ごと。子供時代は7歳までで終わり、14歳までには思春期も終わる。21歳までには様々な変化が起こる。7年目ごと……

生命のなかには一つのリズムがある。42歳までには新しい次元が現れる。祈りの次元、宗教的な次元だ。そしてもし、あなたがその次元に正しくタックルできなかったら、もしどうしていいか分からないということになったら、病気になる。落ち着きを全く失って、そわそわと心惑う。

14歳の年に愛することができなかったら、あなたは42歳になっても祈ることはできない。何かを見落としたままになる。成長全体は一つの連続であって、そのうちの一つの段階でも逸したら連続性は失われる。子どものときにかき集めたエゴのために愛することができなくなり、誰とも気楽にいっしょにいられない。

引用:OSHO『草はひとりでに生える』p.173

年を追うごとにエゴという殻が取れていき、その時々の真なる「わたし」が顔を出す。

思い返せば、たしかに7年ごとに人生における重要な出来事が、自分の中で沸き起こっていた気がします。

自分のエゴというのは、親から受け継いだものから発生するものであり、人生のさまざまな問題を解決するためには、まずは親との関係性を解決すること、とも書かれてあります。

つまり、問題は”そこ”から起こっているのだから。そこで解決されなければならないということだ。昔の東洋の伝統で、親を愛しなさい、尊敬しなさい、と強く言っているのはここから来ている。

親を愛し敬いなさい。しかも可能な限り深く。

なぜならエゴが生まれ育ったのは、”そこ”だから。そこがエゴの土壌なのだから、そこで解消させなさい。さもなければあらゆるところで、それはあなたについてまわる。

引用:OSHO『草はひとりでに生える』p.174

いくつになっても親との関係というのは、完全に解決するということはありません。親としては、大抵は恐れの立場から発言していることが多いもの。それを完全に鵜呑みにして「なんでなんで?」と腹を立てるのではなく、それも一つの意見として受け入れてみる。そのことに囚われる必要はまったくなく、必要なことのみを活かす。必要のないことは受け流す。流れに抵抗するからエネルギーを消耗し、結果自分自身を消耗してしまうのです。

<全体>に合わせていきなさい。その<全体>と共に動いて行くがいい。その<大いなる河>と共に動くのだ。泳ぐことすらしてはならない。人は河の流れに逆らって泳ごうとする。そして負ける。泳ぐことさえしないでいなさい。浮いて行くということができないかな?

<河>がただあなたを連れて行くままにさせる。そういうことができないものか?

<河>にまかせなさい。いっしょになって動いていけばいい。<生命の河>に対してゆったりリラックスして、それがあなたを動かすままにさせるがいい。その<河>はいずれ大海に行き着く。あなたがどうこうする必要はない。

この逸話の老人は言っている。

自分を水に合わせるのですよ

水を自分に合わせようとしないでね

引用:OSHO『草はひとりでに生える』p.193-194

それを問題として見ているのは自分自身のエゴ。見方を変える、エゴを落としていくことで身の回りの世界は変わっていき、ひいては社会や世界全体も変わっていくかもしれません。

 

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2周年を記念して、noteにて4月に発行したニュースレター春季号を無料公開いたします。PNG形式なので画像保存して頂ければ、どのデバイスでも読むことができると思います。これを機に、次号以降ご購読頂ければ幸いです。

(※公開終了しました)