わたしへのプレセント

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探し続ける宝物

この時期になるとなんだか寂しさも感じるような季節です。もうすぐ胸躍るクリスマスですが寒い季節だからこそ感じる温もりもあるような、そんな気がしています。

わたしのサンタさんがいなくなってもう随分経った気がしますが、いま思い返してみれば、「これからは自分のほしいものは自分で見つけるんだよ」ということを暗に伝えてくれてたのかも、なんて思ったりもします。タロットや占いに惹かれているその裏には、あのとき解けてしまった魔法を自分自身にもう一度かけたい、なんていう普段は気付かない思いも、もしかしたら隠れているのかもしれません。

みなさんはいまほしいものってありますでしょうか。

わたしは相変わらず代わり映えしない日常が続いておりまして、なので欲に対する変化もあまりないという笑。やっぱりいろいろと動くからこそほしいものも湧いてくるというか生まれてくる、ってのはありますね。しいて言うなら、いまは「したいと思う経験」がほしいと言えるかもしれません。だとしたら情熱を感じて動かないとやっぱり始まらないですよね。

来年こそはクリスマスだからこそこれがほしい、と言える自分でありたいものです。

今度は自分の番

そんななかにあっても、これまでいろんな大切なものを、クリスマスに限らずいろいろな方に貰ってきました。こうやってこころ鎮めて考えてみたときにはじめて気付くことも多かったりします。

わたしがはじめて目を奪われたトートタロット、アテュ21番目のカードである「XXI The Universe」、宇宙をあらわすカードです。

crowley-thoth.com

この世界そのものがプレゼントなんだ、という声も聞こえてきそうなほどの神秘さです。しかし対応する星はなんと凶星をあらわす「土星」。この遠い記憶のサンタさんのように突き放す感じがなんとも言えません。その人次第でこの世界はどうとでも受けとれる、そんなとこでしょうか。生命の木においてはイエソドからマルクトの間の最後のパスに位置しており、いわばカバラ体系の番人のカードとも言えます。その終わりはこの生命体系の世界の始まりを示している、ということなのかもしれません。

無で始まった愚者の「大いなる業」フールズ・ジャーニーはこの宇宙のカードで完結する。全ての現実とアテュの本質は愚者と宇宙のカードの間にあって、達人=アデプトの様々な諸相を形成してきた。無で始まった物は無で終わる。それはビッグ・バンとビッグ・クランチ宇宙論で考えると理解しやすい。この二枚のカードに挟まった二十枚のカードは「大いなる業」の各段階における代理人である。そして終わりは始めの始まりである。故に宇宙の像は処女の像である。

引用:『トート・タロット図解』1.アテュ XXI The Universe ユニバース 宇宙

宇宙的な終わりとはじまりという時の狭間のなかで、目には見えませんがひとり一人の内でも精神的な終わりとはじまりが常に繰り返されている。そのとき悩み苦しみに埋没するのではなく、自分自身で立ち向かっていく強さを獲得していくことが生きるチカラの源、そんな風に感じます。

いまはこのブログをきっかけに、みなさんからいろいろなプレセントを受け取りながら、微力ながらわたしからもなにかささやかな贈り物が生み出せればそれがチカラにもなり、また誰かの役にも立つのかもしれない、そんなことを思いました。