人生におけるプロジェクト

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人生を再び創る

図書館に行った際、職員の方がやけに掲示物の多い部屋に出入りするのを見かけて、なんとなく気になって部屋の名前を確認してみたところ、そこには

「プロジェクトルーム」

と書いてありました。

公共の図書館といえども、地域を盛り上げるためにいろいろと努力して試行錯誤してるんですね。

一方自分はというと、人生のプロジェクトなるものに取り組めているのだろうか。

年始からはじめた「やることリスト」には、ひとまずのタスクは完了して、当面やるべきことは、ない笑。これではまずい。

読みたい本を探しながらも、頭の中で今後やってみたいことをいろいろと思案していました。ちょうど人生の立て直し中の身でもあるので、今後の仕事と人生についてのバランスなんかも考えてみたりして。

これまでは社会のシステムの一員として、忙しさに忙殺される日々だったのですが、40年以上生きてきて、自分と社会との関わり方も見直すべきだなと感じています。社会の中で生きていく力を学ぶには厳しさに揉まれる必要がありますが、ある程度磨かれたなと感じる今となっては、今度はそのシステムを「使っていく」立場で進んでいくことが、本当の自立につながっていくと感じています。

世界は、思考と感情、システムと生命、テクノロジーと自然、相対するもののバランスで成り立っていますが、その中に埋没してしまっては結局支配され終わってしまいます。俯瞰して物事を見つめ、そのどちらも選択できる「余白」をもって生きることが、何事も楽しめる人生だと思うのです。

見たい景色を見に行く

しかしながら、距離を取りすぎては波の立たない人生になってしまい、それはそれで生きがいを感じないものになってしまいます笑。ときには苦しさも必要だということ。

散歩コースの途中、近所に弓道場があり、外から見学させてもらいましたが、寒い中薄い道着に身を包んだご年配の方が、非常に美しいフォームで矢を放っておられました。

ひとつの道を究めることの大切さを、まざまざと見せつけられました。

なにかをはじめるのに遅すぎるということは無いのかもしれません。小さい頃からやりたかったことや好きだったことをやってみることで、またはじまるかもしれません。

わたし自身なにかを創りたい衝動でブログを書いていますが、続けることでさらに世界が広がっていく感覚もあります。絵を描くことも好きだったので、新たにはじめてみるのも良いかもしれません。

いまの時点でのわたしの世界の解釈は「終わりのないルービックキューブ」。

どんな方向に動かすのも自由だし、どんな”色という景色”を見るのも自由。しかし、ただ動かされるのを見ているだけでは、見たい色は見えてはきません。

動かしたい方向に動かす人にだけ、見たいものが見えてくる世界です。