未知との出会い

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流れに乗る

運勢記事をアップしたその日のうちに、これまで曖昧だったことに白黒つけなきゃいけないような重要な出来事が発生し、書いた本人もびっくりするような状況となりました笑。記事をご覧になった皆さんはいかがだったでしょうか。今週もあと少しなので、少しだけ運勢を意識して過ごしてみてはどうでしょう。

わたし自身、書いてあったのはこのことだったのか、と妙に納得してしまい、占いのチカラというのをまざまざと体感してしまいました。改めてその身に染み渡るまで何度も読み返し、さらに良い流れに乗れるよう過ごしてまいりたいと思います。

東洋の神秘

最近書いた記事で「易」についての記述が出てきたので、少し興味が湧いてしまいYoutubeでいろいろと調べておりました。易といえば、手に持った何本もの竹の棒をじゃらじゃら~みたいなイメージしかありませんでしたが、詳しく見ていくと、その手順のひとつひとつに重要な意味が込められており、そのなかに東洋の神秘・ロマンを感じてしまいました。

50本の筮竹と呼ばれる竹の棒から「太極」と呼ばれる易の神様を、1本だけ筮筒に差し入れる。残りの49本は、眉間の奥の松果体、第6チャクラに意識を集中しながら、感覚のみで2つに割る。左手は天を表し、右手は地を表す。地の筮竹のなかから人を表す1本を、左手の小指と薬指の間に掴み天に加える。「春夏秋冬」と2本ずつ数え、割り切れなかった残りの本数で卦を立てる。

竹を割る動作の中だけでも、これだけの意味が存在します。昔は身を清めたあとに紋付袴を着て、筮筒、筮竹、算木のみを台の上において、神聖な儀式のひとつとして占断を行っていたとのこと。

それだけ感覚を研ぎ澄ませて出た結果には、それ相当の価値が存在しているように感じます。これまでの占いへのイメージがいい意味で変わってしまいました。

このような昔ながらのアナログな道具を使って、本格的にやってみるのも面白いかもしれませんね。

体験という答え

どんな占いにしても、眉間の松果体、いわゆるサードアイと呼ばれるチャクラに意識を集中させるのはどれも共通しているようです。リーディングされている方には当たり前すぎて、いまさら何言ってるのと思われるかもしれませんが笑。

この辺はヨガや瞑想などとも、なにか通じるものを感じます。

占いにしてもブログにしても、終えるまで自分でもその完成は見ることができない。体験でしか答えはわからないというところに、共通した魅力があるのかもしれません。

日々の生活においても、少しだけいつもと違うことをしてみる。不意に自分でも意識していなかった、なにか「新しい魅力」を発見できるかもしれませんね。