無限の反射

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あるがまま

昨日と一昨日は休みだったので、久しぶりに実家の方へ帰省。

休み明けの本日は営業にて接客のお仕事でした。朝から霧が凄くて、見える景色もなんだか幻想的な雰囲気に包まれていました。なにげなく写真を撮ってはみましたが、何せ素人なので構図的にどうなんだという結果に笑。しかしながら、そんな写真から雰囲気だけでも伝われば幸いです。

朝とは対象的に、昼間はおかげさまで快晴に恵まれ、数多くのお客さんに訪れていただきました。

本日も親子連れのお客さんが多く、そんなあるがまま「いま」を楽しむ子どもたちを見てると、名前や概念はどうあれ、目の前のことを楽しむことこそ全てなんだなと、改めて再認識させられました。

それと同時に、「人はなぜ生まれてきたのだろう。」というような、永遠に答えの無い、ある意味人間の根源的な疑問も湧いてきてしまいました。

パズルのピース

現実は自分を映す鏡。そんなことを幾度となく書いてきた気もしますが、相手が鏡なら、自分自身すらも誰かを写した鏡なのかもしれない。鏡に反射された「光」が凝縮した結果、「わたし」という存在がこの世に生まれた。そんな解釈もできます。

最近少し離れていたバシャールの本を久しぶりに手に取ってみると、そんな鏡のお話が偶然にも書かれてありました。

もともとみなさんはパズルの自然なかけらとして生まれてきました。しかし、時間とともに以前とは異なった形のかけらになってしまった。そして、その結果、全体像に合わなくなってしまった。ということかもしれません。

この「物理的な現実は鏡である」という概念を使うことによって、もともと自分の持って生まれたかけらの形を理解して、その場所にあてはまり、全体像を生み出すことができます。

完璧な全体像をつくることができるのです。

そうすることによって、自分自身を個性のある強い人間として、独立した個人として生きさせてあげることができます。そして、同時に、個人が全体をサポートできるような相互関係を持つことができます。みなさんがあるがままの自然な状態で創造をサポートすることができれば、創造もみなさんをサポートすることができます。

そして、パズルはあてはまっていきます。

引用:ダリル・アンカ「BASHAR バシャールペーパーバック⑦」p.24-25

自分で描いたこのパズルを完成させるには、あるがままの自分で生きることが最も大切だということ。それに加えて「楽しむ」ことで、そのパズルが無限大へと広がっていくのです。

嘘や建前や見栄で不自然に取り繕ったところで、結局はそれに見合った不自然な現実が映し出されるだけのこと。

自分の行き着く未来は、自分自身のこころ、即ち「本当のわたし」だけが知っているのかもしれません。