よく働き、よく眠る

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問題というまやかし

最近は仕事で身体を動かしているせいか、夜もよく眠れております。寝る子は育つとよく言いますが、子と言うには随分と育ちすぎた年齢となった今でも、睡眠は身体にとってほんと大事だなと実感しています。日中の疲労の修復は特に寝ている間に活発に行われるので、肉体年齢の”若さ”というのはこの睡眠と、あと食事に全てかかっていると言っても過言ではないでしょう。

仕事も以前やっていたこととはまったく変わり、おまけに雇用形態も変わったので、ストレスや抱える心配事というのは綺麗サッパリなくなりました。そのおかげか、すっかり夜もよく眠れるようになりました。以前は仕事中にイライラすることも多かったのですが、いまはまったくありません。心穏やかに毎日を過ごすことができております。非常にありがたいことです。

仕事での立ち位置は変わりましたが、いま自分がいる位置で、できることを精一杯やる。まずは目の前のことを一つ一つをこなすことから始めています。ブログと同じで、人生もまさに再スタートって感じですね。

マインドを独裁者にしてしまうと、それは問題をつくり出す。そして、解決や答を探し出す。そうなったら答そのものがもっと問題をつくりあげる。それからはもう、どんどん問題を抱えっていって、最後には狂人病院へと行き着く。

マインドの終着駅は狂人病院だ。なぜなら、一つの部分が全体であるかのようなフリをすることこそ、既に狂気だからだ。正気の沙汰ではない。

引用:OSHO「草はひとりでに生える」p.50

マインドが生み出す思考には終わりがありません。問題というまやかしに囚われ、睡眠不足になるほど思考を働かせ続ければ、悩みや心配という毒を生み出し続け、それは確実に身体を蝕み、いずれは病気となって現れてくることでしょう。

卵が先か鶏が先か

現代社会は答という決まり事が多すぎるせいか、問題の数も膨大なものに膨れ上がっています。問題を抱えれば抱えるほど身体は休むことができなくなります。心身の健康を求めるならば、まずは当たり前と思われている「答」から疑ってかかってみる。じつは問題など何も無いとわかれば、余計な思考も必要なくなり、精神の解毒も徐々に図られてくるのではないでしょうか。

マインドはこの現象世界のほんの一部だ。しかもそれほど本質的な部分ですらない。マインドなどなくても動物は存在する。樹々は存在する。それも見事に美しく存在している。しかしマインドはたいへんな見せかけやだ。マインドは、自分が基盤であり土台であり、頂点、絶頂であると見せかけているにすぎない。そしてその見せかけをつづけていく。

引用:OSHO「草はひとりでに生える」p.48

マインドという小さな檻のなかで、人は囚われの存在なのかもしれません。でも、そんな一部だとしても、自分のやりたいことを実現する果てしない”チカラ”がある。ひとたびそのチカラを創造的な方向へと向ければ、それは見たことのない世界へと私たちを連れて行ってくれるかもしれません。

たとえこの世界がまやかしで見せかけの世界だとしても、必ずその先には自分が実現したい世界が待っているのかもしれません。