内なる試金石

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当たり前という名の

最近、忙しさにかまけて読書習慣が薄れていたので、休憩中などに意識して本を読むようにしました。あたらしい趣味的なものもまだ見つからないので、すこし怠けていたブログに再度注力するべく、まずは足元の好きなことに集中してみようかなと。

たまたま今日は仕事もお休みなので、ブログのデザイン含めてテコ入れしてみました。って、いつものことか笑。

まだ読み終えていなかったOSHOさんの電子本。ちょっとずつ読み進めていたところ、老子列子のお話を例に、またまた大事なことを語っておりました。

師の許へ戻ると、師は宝石を手に取って言った。

「これを売るつもりはない。だが今こそお前にもわかっただろう。全てはお前次第だということが。お前のなかの試金石。おまえの理解次第だということが。お前は繰り返し質問をつづけている。お前は野菜市場に住んでいるようなものだ。野菜市場のなかで生きればその市場で通じる理解しか身に付かない。それなのに、お前は貴重な秘密を、高価なダイヤモンドを求めてきた。まず宝石商になるがいい。それから私のところに来なさい。そのときには教えてあげよう」

OSHO「草はひとりでに生える」p.77-78

決して売るなと師に宝石を渡され、色々なところで交渉するのですが、案の定、場違いなところではたいした値打ちにはならない。わからない人には高価な宝石など、どれほどの価値もないのです。

その価値がわかるようになるためには、そのものに対して自分の理解を深めていく必要があります。他の人には分からないけど、自分のなかでこれは相当な価値があると感じれば、それはその人にとっての宝石となるのです。

いろいろなものを見極めるために、まずは自分の「試金石」を持たなければならない。

社会はあなたに、何が正しく何がまちがっているか教える。ほんの幼い子供の頃から、社会は、何が正しく何がまちがいかをあなたのマインドに叩き込む。継続して繰り返されることで、繰り返しとあなた自身の呼応で、あなたは催眠術にかかる。

あなたが正しいことをやればそれは褒められ、まちがいをすればそのたびに咎められる。正しく行動するたびにあなたは肯定的な見返りを受ける。褒美が与えられる。良い評判を受ける。だが、まちがいとなると否定的な見返りを受ける。あなたは咎められ、罰せられる。

こういうやり方で、社会はあなたの内部に一種の電極を植えつけてきた。一度植えつけたらコントロールできる。

OSHO「草はひとりでに生える」p.88

あまりにも幼い頃から当たり前のように言われ続けているため、疑うことすらできないのがいまの現代人なのかもしれません。自分の思考が社会の言う「当たり前」を基にしている限り、その枠から外に出ることはないということなのでしょう。

先入観。いまの社会を生きづらくしているのは、不安からくる余計な先入観から、自らが自らを制限してしまっている、そんな現状が要因なのかもしれません。

直感を頼りに

先入観が足枷になっている人にとって、そんな当たり前という名の邪念を払い除けるために、「直感」を頼りにするのは大いにアリだと感じます。

直感力を養うためのタロット占い。引いてみたところ、今日はこんなカードが出ました。

rider-waite.com

クイーン・オブ・ワンズ。ワンドは直感を意味し、ことさら女性の感性で物事を捉えよ、とのことでしょうか。生命力に基づいた選択。ひまわりの太陽と暗闇でも眼を光らせる黒猫。なにかしら「月」を連想させます。

陰陽を先入観なくトータルで捉える構図は、なにかOSHOさんの言葉とも通ずるものがあります。

物事には両方の側面があり、楽あれば苦あり。両方が必ずセットで存在します。

混乱のときにこそ光を見よ。いまはそんなことを問われているのかもしれません。

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