思い込みの再構築

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手入れの大切さ

昨日は区域内の遊歩道周りの剪定作業を行いました。昨年人手不足のため一度も手入れを行わなかった場所だそうで、植えられているサツキにカヅラなどのツタがすっかり生い茂ってしまっていたため、手作業での除草が主な作業でした。結構な人数いたのですが、午前が終わってもそれほど進まず。結局、丸一日かけても終わりませんでした。

上の方にツタが絡まり、場所によっては落ち葉が堆積してしまっているところもあったりして、素人目に見ても木の成長をだいぶ阻害してしまっている印象です。ある程度の間隔できちんと手入れができていれば、これほどの状態になることもないんでしょうけど。昨今の人手不足の影響がこんなところにも及んでしまっております。

ツタの間からなんとか陽の光を浴びようと、本来とは異なる形で枝が伸びていたりして。こんな状態では、植えた者としての責任がきちんと果たせていないよなと、なんだか少し申し訳ない気持ちにもなってしまいました。少しでも以前の景観が取り戻せるよう、まずは目の前のやるべきことをコツコツとやっていくしかありませんね。

堆積していく思い込み

人も植物も自分に必要のないもので覆われてしまうと、本来のポテンシャルが十分に発揮されないのです。ツタに堆積した落ち葉で陽の光が届かないように、人の思い込みという観念も、その上に余分なものが堆積していくことによって、本来受け取るはずのエネルギーも受け取れなくなってしまう。社会の歪みも、そうした観念の積み重ねで引き起こされてしまっているのかもしれません。

あなたが社会、文明、文化、教育と呼んでいる神経症、この神経症は巧妙な構造を持っている。その構造は次のようなものだ。それはあなたに象徴的な考えを与えて、現実が次第に曇り始め、ぼやけるようにする。するとあなたは真実を見ることができなくなる。そしてあなたは非現実に執着し始めるようになる。たとえば、社会はあなたに野心的になれと言う。そしてあなたが野心的になる手伝いをする。野心的とは、希望に生きること、明日に生きることを意味する。野心的とは明日のために今日を犠牲にしなければならないという意味だ。

今日はここにあるすべてだ。今はあなたがいる唯一の時間、あなたがこれからもずっといる唯一の時間だ。もしあなたが生きたいと思うなら、それは今であり、それ以外では決してありえない。

引用:OSHO「Joy-喜び-」p.95

いまの日本の生活に根付いた悩みの大半は、本来のわたしたちにとってはほとんどが不必要なものなのかもしれません。人の生存本能である「欲望」につけこんだ巧妙な仕組みで発展する資本主義。そんななかで生きていると、小さなところでも日々いろんな誘惑が溢れております。テレビやラジオ、雑誌やネットなど消費を煽る広告が溢れ、いくらお金があっても足りないような錯覚に陥ってしまいます。

サツキの花言葉は「節約」「幸福」「節制」「貞淑」「協力を得られる」です。

サツキは、岩肌や渓流の傍らなど過酷な環境でも力強く育つことから、「節約」「節制」「貞淑」という花言葉がつけられました。「幸福」「協力を得られる」は、渓流に流されないよう岩や地面の土が支えてくれることに由来しているといわれています。

引用:【サツキの花言葉】意味や由来は?いつの誕生花?

モノで得られる幸せというのはほんの一時的なもの。本当に自分が必要としているのは、それによって得られる体験であり、喜びであり、感情なのです。

人とは本来、一人ではなし得ないことをするために生まれたのであり、そのために自分はいったい何をすればいいのだろうか。こう自分自身に問い続けることが、本当の幸せを引き起こす鍵なのかもしれません。