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初心忘れるべからず
今年一年の振り返りとして、まとめ記事第2弾を書くべく、本日も過去記事をいろいろと読み返しておりました。そのなかで浮かんできたキーワードとして、ひとつは「経験」。そしてもうひとつは、ズバリ「こころ」だと直観しました。
それと、最近よく読んでいるOSHOさんの本のなかで、エゴ(自我)の話のくだりが妙に印象に残っていたりするのです。
頭の中にある記憶の風景。そこにいたはずの人はもういない。思い出だけが残るのみ。
いまこの「現在」すらも、ほんとうは経験しか存在しない幻のようなもので、「わたし」というエゴもまたまぼろしということなのかもしれません。
いま抱えている様々な”問題”すらもほんとうは意味はなく、ただ”答え”だけが存在するのみ。
私たちはそれをただ”味わえばいい”だけなのかもしれませんね。
先日も思い込みや観念についての記事を書きましたが、これもこのエゴと深い関係があります。現代人は、どうもこのエゴに縛られて生きている人が多いのか、「こころ」がどこかへ置き去りにされている感をひしひしと感じるのです。
本当のわたし
エゴとはこの現実においての自分。過去から現在までの自分です。
では、これからのわたし、現在から未来のわたしはどこにいるのか。
それは「こころ」のなかにいます。
胸に手を当てて聞いてみるとよく言いますが、その意味するところは、本当の「わたし」に聞いてみるということなのです。頭で考えても答えが出ない時、こころが踊る方、ワクワクする方へ進んでみるのが”わたしの”正解、ということなのかもしれません。
現在、最もポピュラーなタロットである「ウェイト版タロット」を産んだウェイト氏と黄金の夜明け団。その「飛翔する巻物」のなかに興味深い記述がありました。
古の錬金術師たちは、物理的な領域を超えた時、時から永遠へと変容あるいは転移した魂について描いている。彼らはまた、この魂の成長や開発についても示している。
彼らは以下のように美しい寓意で書いている――
人の心は太陽のようなものであり、人へと降りて来る霊的な直観の神的な光線を受け取る器官である。
人の脳は月のようなものであり、人間知性の源である。
人の体は地上の乗り物である。太陽を月へと染み込ませ、霊的な火が人間知性に吹き込むようにせよ――そして、浄化された体の子宮で結果の実を結ぶようにせよ。それにより、あなたは太陽の息子、精髄、賢者の石、真の知恵と完全な幸福を開発するであろう。
引用:黄金の夜明け団 飛翔する巻物 第15巻
エゴとは頭で考えている自分のこと。すなわち、「月」。
それは太陽である「こころ」の投影でしかないということ。
未来を指し示すのはエゴとしての月ではなく、太陽のかけらである魂、すなわち「こころ」の方なのです。
今日出たカードはなんと「法王」でした。
間違いなく、ウェイト氏は「わたしを信じろ」と言ってますね、これは笑。
これが大アルカナ5番目のカードだということ。
奇しくも、この世界を構成するエレメントの数と同じですね。こころに従うことがまさしく、自分の未来を紐解く「鍵」であると伝えてくれています。
真っ直ぐなこころで観てみれば、自ずと視えてくるものがあるということなのでしょう。